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文学作品を読んでみよう


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私がいま、読みたい本は、伊集院静さんが書かれた「ミチクサ先生」(講談社)です。
夏目漱石(金之助)の生涯が物語として描かれています。コロナ禍でなかなか遠方に足を運ぶことができない状況ですが、ここでは漱石の作品や作品にちなんだ場所を紹介しながら、作品を読む前に、漱石に関する知識を掘り起こしてみたいと思います。
【漱石の作品】
①「三四郎」
熊本の片田舎(かたいなか)から出てきた三四郎は、東京の大学に入学し、いろいろな人たちと出会い、様々な出来事にあって、喜びや悩みなど数多くの経験を重ねます。登場人物も魅力的です。物理の野々宮先生、里見美禰子(みねこ)さんなどモデルとなった人物は誰だろう?と考えるだけでも、作品に対する理解が深まります。三四郎の目に映った当時の東京はどうだったでしょうか?
②「こころ」
わたし、先生、お嬢さん、友人など、登場人物の心の葛藤が描かれます。東京の本郷や小石川も舞台として登場します。作中に登場する東京の道なりを追いかけてみるのも面白いですね。先生が若いころ通った道はこの道だったのか、などイメージするだけでも感慨深いです。
③「門」
作中に登場する山門(三門)とは、円覚寺の山門(三門)がモデルではないかといわれています。北鎌倉の駅を降りてすぐ、樹木の生い茂るトンネルを抜けるとそこに山門があります。その存在感は、凛(りん)としており、圧倒的です。私が訪れたのは夏でしたが、作品の世界観に身をゆだねながら、真夏の焼けるような日差し、山林にしみいるセミの鳴き声、時に都会の喧騒(けんそう)を忘れさせ、時が止まったかのような閑寂(かんじゃく)な気分にひたることができます。円覚寺など、鎌倉五山は、禅宗のお寺ですから、殊に「閑寂さ」というのは大切でしょう。
【漱石や作品にちなんだ場所】
①根津神社、三四郎池(さんしろういけ)
根津神社には、漱石が近くに住んでいて、散歩をしているときによく腰かけていたとされる場所(文豪憩いの石)があります。5月のGWの時期には、境内には美しいツツジが咲き乱れ、とてもきれいです。三四郎池は、東京大学の構内にある池です。作品「三四郎」に登場することから名づけられたといわれます。三四郎と美禰子が初めて出会った場所です。漱石が「三四郎」執筆時に、東大の英文科講師だったことから、東大に関する記述がたくさん見られます。「三四郎」を読み返しながら、安田講堂を見上げるのも面白いと思います。
②夏目坂(なつめざか)
漱石が生まれ育ち、生涯を閉じた新宿区※1喜久井町。漱石の父が家の前の坂を夏目坂と名付けました。実際行ってみると、結構長い坂です。メイン通りから一本それたところにあり、静かな印象です。晩年に移り住んだ新宿区の家は、※2漱石山房と名付けられています。記念館もあり、一見の価値があります。近くにある穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、漱石の妻がよく通い詰めたことで有名です。
③修善寺温泉「菊屋」
漱石が療養のために修善寺を訪れたときの宿屋です。ここで病状が悪化し、生死の境をさまよったことは「修善寺の大患」として知られています。部屋の一部が修善寺虹の郷に移築され、「夏目漱石記念館」として公開されています。この経験が漱石の作風に大きな影響を与えました。
漱石に関して、たくさん掘り下げてみました。あと「坊ちゃん」の松山を加えたいところですが・・・このあたりで筆を止め、「ミチクサ先生」を読み始めたいと思います。一つの本から多くの出会いがあります。どの本を手に取るか、非常に楽しいです。年末年始の時間を上手に使って、自分自身へのサプリメントとして文学体験はいかがでしょうか。
下土狩校 小林一弥
※1喜久井町 夏目家の家紋が井桁(いげた)に菊であったことから喜久井町。
※2漱石山房 明治40(1907)年から大正5(1916)年に亡くなるまで住んだ家があった場所