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御家人の名前のルーツ


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「江間小四郎(えまのこしろう)」、これは北条義時が持っていた領地に由来する名前です。当時、御家人たちは自分たちの治める領地の名前を名字にすることがあったといいます。江間とは、伊豆の国市のイチゴ狩りで有名な江間ですね。この地域ではなじみの深い地名ではないでしょうか。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝が伊豆地域から源氏を再興し、鎌倉を中心に東国の支配を固めます。その後、西国での平家との争いに打ち勝ち、幕府を鎌倉に作ります。ドラマでは、その後の御家人たちのパワーゲーム(誰が幕府のリーダーシップをとるか?)まで描かれるのですが、今後も目が離せない展開が続きます。1972年「新平家物語」、1979年「草燃える」、2004年「義経」、2012年「平清盛」。源平を描いた数々の大河ドラマはありましたが、北条義時の視点から描かれているのは、新しいです。何よりも伊豆地域にスポットライトが当たるのですから、地元ととしては誇らしい気持ちになりますね。北条、伊東など、作中に登場する御家人の名前は、伊豆地域の地名に由来しています。例えば、北条(北條)※1は、伊豆の国市にあった地名です。近くには、南條、中條という地名があります。また、伊東は、言わずと知れた伊東市の伊東です。名前を一つとっても、色々勉強になることばかりですし、歴史的な地域のつながりも見えて面白いです。個人的には、神奈川出身であるので、三浦半島の三浦、藤沢の大庭城の大庭などは、懐かしい地名です。そして何よりも伊豆地域から相模(神奈川)、武蔵(東京、埼玉)に至るまで、同じ文化圏でまとまっていたというのは驚きです。現在では、静岡の伊豆は、中部地方、神奈川(相模)は、関東地方と8地方区分で分かれていますが、伊豆も含めて当時は南関東の枠組みであった、というのは新しい見方です。(東大史料編纂所の本郷和人さんの著書より)このように地名と氏名の関係を見ていくだけでも興味深いことはたくさんあります。皆さんも、地域の地名のルーツに注目してみるのも面白いかもしれません。授業では、See-beを利用して、源平合戦を追いかけてみたいと思います。一の谷、屋島、壇ノ浦とNHKの歴史番組の映像を用いながら、迫っていきます。時折、富士川の戦いで黄瀬川に陣を張ったこと、頼朝と義経の対面石などの地域ネタも交えていきます。歴史の授業を楽しみにしていてください。
下土狩校 小林一弥 
※1 常用漢字では、条を用いることに統一されています。條の字は、中條、南條として地名として今でも使われています。