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Ich will(我欲す)


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年を越して、ますます寒さが強まってきました。換気を求められる今年の冬は、屋内でも寒さ対策は欠かせません。皆さんはしっかりと服装を整えて頑張っていきましょう。
 さて、コロナの拡大は未だ止まらず、先の見えない情勢が続いています。こんな時だからこそ、しっかりと生きよう!と思いながら、今回は同じく混迷の時代を生きた、ある哲学者の言葉を紹介したいと思います。その人物が生きていたのは19世紀のヨーロッパでした。当時のヨーロッパでは、何が正しくて何が間違っているのかを、キリスト教の考え方に基づいて決めていました。時には戦争さえ巻き起こすほど、ヨーロッパの人々はその教えを真剣に信じていたのです。しかし、自然科学が発展し、同時にキリスト教が力を失い(崩れ)かけたとき、人々は自分の生きる意味を問い直すことになりました。どのように生きていくべきなのか、どうすれば幸せになれるのか、自分の中で支えとしてきたものが揺らげば、もう同じようには生きていけません。そんな中、「神は死んだ」と声を上げた哲学者がフリードリヒ・ニーチェでした。ニーチェは、この世界が何度も同じことを繰り返しているのだと考えていました。たとえば遠い過去や未来で、自分と同じような人間が何度も生まれて、同じように生き、亡くなっているのだと。この思想を永劫回帰(えいごうかいき)と言います。この永劫回帰があったからこそ、ニーチェは何度でも生きたいと思えるような悔(く)いの残らない人生を送るべきだと考えたのです。そんな彼が、キリスト教の信仰が薄れた時代、神様を信じきれなくなった人々に投げかけたのが「Ich will(我欲す)」という言葉でした。これはつまり、自分が望んだように、欲するままに生きるということです。ニーチェは、神様ではなく自分の意志に従って動け、と訴えたのです。「自分の意志で、正しいと思った通りに行動する。」神様を信じ続けてきた当時の人々にはなかなか思いつけない発想だったはずです。けれど現代の私たちは違います。自分で決めて、考えて動く。そんなのは当たり前のことだと多くの人が考えているはずです。ですが、皆さんは本当に自分が正しいと思った通りに動けているでしょうか? 私たちは普段の日々を“なんとなく”過ごしてしまいがちです。あとから考えれば、なぜあの時こうしなかったのか、なぜあんなことをしてしまったのか、そんな後悔を抱く人々はきっと少なくないでしょう。
 受験生のみなさん、時間を無駄にすることなく一日一日を大切に過ごせていますか? 試験本番までの時間が残り僅かですが、まだまだできることはあります。もう十分だから、と気を緩めたその一瞬が結果を左右してしまうかもしれません。いま目の前にある問題に、粘り強く取り組んでいくことが成功をつかみ取るただ一つの方法です。年度の終わりに向けて残りの時間は限られています。しかし、だからこそ一度立ち止まり、考え直してみませんか?そして、後悔がないように、正しいと思える選択を取り続けてもらいたいと思います。