2019年1月15日

森は海の恋人

 「漁師さんが山で植樹をする??」そんな話を学生時分に聞き、驚いた経験があります。当時、大学の授業のゲストスピーカーとして、宮城県のNPO代表の畠山重篤(はたけやましげあつ)さんが招かれました。畠山さんは自身の活動について、次のように話されました。
 「宮城県の気仙沼湾(けせんぬまわん)はリアス海岸で養殖漁業が有名です。しかし、近年赤潮の影響で、カキの生育が悪くなっています。カキは植物プランクトンを食べますが、赤潮でやられてしまうんですね。その植物プランクトンを何とかするためにも、山に森を作り、川に流れ出る養分で、下流域の海を豊かにし、植物プランクトンを増やしていこう、としたわけです。」
 海は海、里山は里山、と分けずに、自然を大きなつながりで見る、この視点は当時の私にとって衝撃でした。しかも、山に植樹をすることで、里山の管理にも注意がいくし、森が育むミネラルは、海の生態系を維持するにあたってもとても役立ちます。一石二鳥、いや三鳥といえる活動なのではないか、と感心しました。
 さて、話は変わりますが、※SDGs(持続可能な開発目標)に関する17のルールが2015年の国連サミットで採択されました。17のルールの中に『海の豊かさを守ろう 陸の豊かさも守ろう』というのがありました。先ほどの畠山さんの活動は、持続可能な社会に向けてのルールを具体化するような活動です。今から約30年も前に、活動を始められていたのですから、時代を先駆けた活動だったわけですね。
 最近になって、SDGsという言葉も新聞の紙面にようやく載るようになってきました。静岡市でも12日にTGC(東京ガールズコレクション)のイベントと重ねて、SGCs普及の取り組みが行われました。SDGsをいまどきのファッションイベントとコラボさせたのは、エコロジーをライフスタイルへ取り入れようとする若者への強いメッセージと受け取れます。SDGsやエコなどが、カッコイイものとして、普及していけば、これからの世の中をよくする一つのヒントになっていくのではないかと感じます。これを読んでいる生徒のみなさん、SDGsという言葉をよく覚えてくださいね。先日行われた中2学調の社会でも「持続可能な社会」についての出題がありました。これからの社会を考えていくうえで、ぜひ押さえておきたいキーワードといえるかもしれませんね。

※SDGs(持続可能な開発目標)
 Sustainable Development Goalsの略称

下土狩校 小林一弥


2018年12月17日

今回のテストも“ド根性”で頑張りました!


2018年12月12日

第2回学調結果!


2018年12月10日

犬はなんと鳴きますか?

 犬の鳴き声と言えば?
 何を分かり切ったことを聞いているんだ、と思われたかもしれません。私たち日本人は犬の鳴き声をわんわんと表現しますし、事実、そう聞こえるという人が多いのではないでしょうか。
 でも、他の国々では…。英語圏では犬の鳴き声は「バウワウ」と表現されます。ロシア語では「ガフガフ」が近い音です。もしかしたら日本人でも、身近な犬の鳴き声が確かにそう聞こえると思う人もいるかもしれません。では、他の生き物の鳴き声はどうでしょう。日本人からすると、「えぇっ!?」と思うような鳴き声もあります。しかし、昔の日本人もなかなか面白い鳴き声の表現をしていたようです。例えば、平安時代に書かれた、『源氏物語』には、ネコの鳴き声を「ねうねう」、同じく平安時代の『大鏡』という本では犬の鳴き声を「びよびよ(びょーびょー)」と表現しているのです。同じ生き物のはずなのに国や時代によって鳴き声が違って表現されるなんて、実に興味深いですね。
 動物の鳴き声や鳥のさえずりを人間の言葉に当てはめたものを、「鳴きなし」、あるいは「聞きなし」と言います。人間以外の動物は、人間の言語のような母音や子音の区別できる音を発しません。しかしこれを人間が聞き取るときに、無意識に人間の出せるような音に置き換えてしまうらしいのです。だから、国や時代が違い、使う言葉が違えば、「鳴きなし」も変わっていくのですね。
c  子どもたちは何をきっかけに物事に興味を持つかわかりません。鳴きなしや雑談で聞いた話、本や図鑑など、ふだんやり過ごしてしまうようなことが、子どもたちの興味の扉をたたき、また開いてくれることが多々あります。冬休みはそんな「きっかけ」を探す時間を持ってみるのもいいですね。
 三島進学ゼミナールでも、冬休みには子どもたちに興味・関心の種を与える仕掛けを用意して、小学生・中1・中2の冬セミナーをおこないます。いつも生徒たちに伝えることですが、勉強は宝探しです。我々、教師一同も生徒たちと一緒に、たくさんの宝を見つけたいと思っております。

下土狩校 川人奈津美


2018年11月21日

観光都市Nikkoの誕生

 「世界遺産日光東照宮などがある栃木県日光。実は明治時代に一人のイギリス人女性が訪れました。その名はイザベラ・バード。彼女は、『サンドイッチ諸島での六ヶ月』、『ロッキー山脈におけるある婦人の生活』などの本を書いて有名になった旅行作家でした。明治十一(1878)年、彼女は、イギリスからはるか遠い東洋の島国日本を訪れ、「日本奥地紀行(にほんおくちきこう)」を書きます。彼女の目に映った日本とは、どのようなものだったのでしょうか?
 「日光を見ずして、結構(けっこう)ということなかれ。」彼女は、本の中で日光をこのように紹介しています。イザベラ・バードは、金谷カテッジイン(現在の金谷ホテル)に滞在し、日光東照宮をはじめ、中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)や華厳(けごん)の滝を訪れます。日光東照宮の豪華(ごうか)な装飾、日光の自然美は、とても素晴らしく映ったようで、本の中で紹介されたあの一文になったようです。江戸から明治に移り変わり、徳川家康と関係の深い日光は、江戸幕府という後ろ盾(だて)を失って、次第に活気を失っていきました。しかし、彼女が本に紹介すると、ヨーロッパでも日光が広く知られるようになりました。
 その後、日光に多くの外国人が訪れるようになります。ヨーロッパにはない、高湿度(こうしつど)のアジアの夏は、外国人には耐えがたいものがあったようで、夏を快適に過ごすために、日光の中禅寺湖畔に別荘を設け、夏をそこで過ごしました。イギリス・フランス・イタリアなどの大使館の別荘が並び、さながら「国際会議が開けるような場所」でした。外交官の家族も訪れ、ヨットレースも行われていたようです。長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバー、イギリス公使アーネスト・サトウなども好んで日光を訪れたとのことです。
 現在の東洋的な日光東照宮からヨットレース、別荘と西洋的な要素まで非常に振れ幅が広いのが日光といえますね。現在でも、日光を訪れる外国人宿泊者数は、約350万人(平成27年栃木県調べ)。多くの外国人の心をとらえてやまないようです。 小学校の修学旅行で、日光を訪れた学校もあったようですが、たくさんの外国人観光客の方に出会いましたか?耳を澄ませば、英語、中国語、韓国語、、、。インターナショナルな環境がそこにはあります。そうした環境に刺激を受け、外国語への興味を深めてもらうきっかけになってもらえればと思います。

下土狩校 小林一弥


2018年10月2日

西郷どん SEGODON

 「西郷どん」は、2018年度のNHK大河ドラマで、西郷隆盛の一生を描いています。林真理子さん原作、中園ミホさん脚本です。西郷隆盛といえば、上野公園の銅像が思い浮かびますね。犬の散歩途中のあの姿が印象的ですが、実は、江戸から明治へと移り変わる激動の時代に生きた人で、教科書に載っている様々な出来事に関わりました。薩長同盟、王政復古の大号令、戊辰戦争、西南戦争などです。
 ドラマの中の薩長同盟のシーンは、とても迫力がありました。以前の大河ドラマ「新選組!※」では、かなりコミカルな展開で描いていましたが、今回の作品では、薩摩(さつま)と長州(ちょうしゅう)の意地のぶつかり合いを、場の重々しい空気感で伝えていました。なかなか意見がまとまらなかった二つの藩をまとめたのが、西郷の一声であり、熱い気持ちでぶつかっていく西郷の姿が印象的でした。同じ場面でも、作品によって描かれ方が違ってきます。「新選組!」では、幕府・新選組の視点から、「龍馬伝」では、土佐・坂本龍馬の視点から、今回は薩摩・西郷隆盛の視点から、それぞれの作品でそれぞれの立場から見ていくのも面白いです。
 大政奉還〜戊辰戦争にかけては、江戸幕府15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)と西郷の対立が描かれています。江戸幕府を何とか追いつめようとする西郷と徳川の権力を守りたい慶喜。まずは慶喜が大政奉還を行い、朝廷に政治の実権を返上してしまったことで、幕府を倒そうというグループの勢いを弱めようとしました。しかし、西郷が薩摩や長州の軍を率いて、京都御所(きょうとごしょ)の守りを固め、王政復古の大号令を実現したことにより、立場は逆転します。徳川は朝廷の敵ということになり、旧幕府と薩摩・長州などの兵の間で衝突が始まります。いわゆる鳥羽・伏見(とば・ふしみ)の戦い、戊辰戦争の始まりです。歴史の教科書では、大政奉還→王政復古の大号令→戊辰戦争、これだけで済んでしまいます。しかし、その裏では、慶喜と西郷の対立、政治の駆け引き、こんなにもすごい人間ドラマがあるのだなと、改めて気づかされました。
 今後物語は、江戸城無血開城、勝海舟(かつかいしゅう)と西郷の伝説の会談が舞台となります。江戸が火の海とならなかったのはなぜか?江戸幕府を滅ぼそうと徹底した態度をとっていた西郷が和平に転じた理由は何なのか?明らかになってくるでしょう。
 授業では、西南戦争で西郷を取り上げる予定です。See-beの映像には、熊本の田原坂(たばるざか)の戦い、追いつめられた西郷が陣を構えた鹿児島の城山が桜島をバックに映し出されます。城山のふもと島津氏の居城、鶴丸城(つるまるじょう)の石垣には、西南戦争の大砲の痕がいまだに残っているそうで、西南戦争の過酷な状況が伝わってきます。ビジュアルとともに、激動の明治へと、皆さんを招待してくれることでしょう!!

下土狩校 小林一弥


2018年9月24日

実力の表れ! 中3学調結果


2018年9月22日

見よ!夏の成果!


2018年9月21日

NASAが驚愕(きょうがく)した日本の技術力

 「国際宇宙ステーション(ISS)」 
一度は耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。
ここには宇宙飛行士が長期間滞在して、日々実験・研究や宇宙の観測を行っています。その国際宇宙ステーション(ISS)には地球から無人ロケットを使って食料や実験装置などを定期的に運ぶのですが、世界中でたった3カ国のみに頼っているのが現状なのです。その国とは、アメリカ、ロシア…そして日本!
6人の宇宙飛行士が滞在する国際宇宙ステーション(ISS)に、物資輸送にかかわる大きな危機が訪れたのは、2014〜2015年のことでした。各国が物資輸送に失敗し、ISSの水再生システムの交換用フィルターが底をついたのをはじめとして、さまざまな生活用品などの消耗品も不足する事態となりました。宇宙ステーション計画は、大きな岐路(きろ)に立たされました。

 そんな中、2015年8月19日、種子島宇宙センターからH-UBロケットによって打ち上げられた「こうのとり」5号機は、予定通りISSに到着。そして、その当時ISSに滞在していた油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士が、ロボットアームで「こうのとり」をつかんで補給物資を受け取るという「オールジャパン」の成功を果たしました。
日本が誇る無人宇宙輸送船「こうのとり(HTV)」は、約6トンという世界最大の補給能力(大型観光バスが1台すっぽり入るぐらいの大きさ)をもっています。しかも、これまで「こうのとり」は初号機から6号機まで一度の失敗もなく、定時到着を続けています。世界から賞賛される技術力がこの日本にはあるのです!
そして!今年9月23日には「こうのとり」7号機の打ち上げも行われる予定です。
最後に「こうのとり」の開発者の一人である塚原克己(つかはらかつみ)さんへのインタビューを紹介したいと思います。
「難しい作業でしたが、そこまでして突き動かしたものは何だったのでしょうか。」
「やはり、『日本にも宇宙船を開発する技術があることを、世界に証明する』という使命感に駆られていたのだと思います。
NASAからは、常に『宇宙開発途上国の日本が、本当にできるのか?』という不信の目で見られていましたから。

 日本にもちゃんとした宇宙船が造れるのだということを、米国を代表するNASAに、そして世界に認めさせたいというエンジニアの意地が、我々の主たるモチベーションだったんです。
ここであきらめれば、日本の宇宙開発の負けを認めることになる。そんなわけにはいかない!」
これからも分かるように、世界一の技術を確立するまでには、困難や上手くいかないことはたくさんあったはずです。
みなさんにも上手くいかないことや思い通りにならないことはたくさんあるはずでしょう。それは、決して学習面だけではなく、部活や習い事などを含めれば本当に多くのことになるかもしれません。しかし、せっかくの人生です。そこで、諦(あきら)めることなくどんなことにも果敢(かかん)にチャンレンジして一つでも多くの成功体験を作ってほしいと強く願っています。我々も全力で応援していきます!

下土狩校 岡田 怜


2018年8月22日

叶える

 口から、+(プラス)の言葉と−(マイナス)の言葉を出しているのは、ただ「吐」き出しているに過ぎない。 口から+(プラス)の言葉を出せば、それは「叶(かな)」う。
 夏頃、中3の生徒によく聞かせる話です。 大変なのはよくわかる。でも前を向いて頑張れ、という気持ちで、この言葉を聞かせます。 私はこの言葉と、「叶」という漢字が大好きです。
 しかし一方で、私は国語や英語などの、言語を教える教師なので、「叶」という字の本当の成り立ちを知っておきたいと思い、調べてみました。 するとどうやら、「叶」という字の「十」は合わせるという意味を持ち、「叶」は多くの人が声を合わせるという意味なのだそうです。 つまり、みんなが口をそろえて夢を語ることによって、その夢は実現するということです。
 これも夏の終わりに中3生に伝える言葉ですが、「受験は団体戦」です。 それぞれが努力を重ね、学力をみがいて成績を伸ばし、挑むものではありますが、一人で頑張るものではありません。
協力 「あの子がまだやっているから私だって、あと一時間……。」 「ぜったいにみんなで第一志望に合格しよう。」 「ぼくも頑張るから一緒に頑張ろう。」 そうやって支えあって努力をし、夢を叶えた生徒たちを、これまで幾人も見てきました。 及ばずながら私も、生徒たちと同じチームの一員だと思っています。 夏は終わりましたが、勝負はこれからです。 ここから最後まで、チーム一丸となって戦っていきます。

下土狩校 川人奈津美


2018年7月31日

2018夏だ! 読書のススメ!!

エース  本を読むことは、自分の世界観を広げてくれます。「ああ、こういう見方があったのか。」とこれまで気づかなかった考えに出会う経験は、ページを進める度に深まっていくものでしょう。そうした経験を味わうためには 「どんな本を選ぶのか?」 この選択がとても大切になってきます。自分の中での興味関心と照らし合わせて、読みたい本を探す。それも、今面白いと思う本がベストです。以下にあげたのは、私が最近面白いな!と感じた本です。 先日サナスタ通信で小学生向けのこの夏オススメの本が紹介されていますので、ここでは、中学生向けの本を取り上げてみました。夏休みに入り、ゆっくり時間もとれるこの時期に、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。

■説明的文章
「千年の田んぼ」 石井里津子  旬報社
あらすじ)山口県の沖合にある見島(みしま)。そこで行われているコメ作りが、実はとても古い時代から行われているのではないかという思いから、島での調査を開始。水田のそばのため池に注目し、数を数えたり、古地図を片手に地名を調べたり、様々な角度から水田の歴史を明らかにしていきます。
感想)前半は、筆者と島の人々のやりとりや水田の調査などを中心に展開しますが、後半から話のスピードがググッと上がり、なぜ田んぼができたのか、どんな人たちの暮らしがそこにあったのかが、明らかになっていきます。歴史が好きな人には面白いと感じます。

■文学的文章
「舟を編む」 三浦しをん 光文社
あらすじ)出版社に勤める馬締光也(まじめみつや)は、新しい辞書編集に携わることになりました。その辞書の名は、『大渡海(だいとかい)』。「辞書は言葉の海を渡る舟だ。」「海を渡るにふさわしい舟を編む。」編集に携わる人々の熱意から作業はスタートしました。言葉の意味をもう一度考えてみたり、新しい言葉を集めてみたり、気の遠くなるような作業が続きます。果たして、辞書は完成までこぎつけたのでしょうか?
感想)辞書作りが進む中で、辞書の紙の質にこだわる場面がありました。 肝心なのは、ページをめくった時の「ぬめり感」。 ページをめくる時の感触(かんしょく)までを考えて、辞書が作られていくのですね。辞書を作るにあたり、ここまで徹底的にこだわるのか、とただただ驚くばかりでした。

 実際に市販(しはん)されている辞書も、様々な個性があります。
「三省堂(さんせいどう)」は、初めて買った子どもにも分かる表現で書かれている。新語を積極的に取り入れる。
「明鏡(めいきょう)」は、文法項目をていねいに表現する。「ない」という言葉だけでも1ページ以上さく。
「新明解(しんめいかい)」は、どのような使われ方をしているか、大人が思わず納得してしまう表現で、読める辞書として面白い。言葉の意味をじっくり考えたい大人向け。
「岩波(いわなみ)」は、「右」の説明に代表されるように、しっかりとした言葉の解説が特徴。(舟を編む、でも右をどう説明するか、という場面があります。)
こうして、本をきっかけにして、様々な辞書を見比べてみるのも面白いですね。

下土狩校 小林一弥


2018年7月10日

清水中 全学年の1位を三進生が独占!!


2018年6月27日

スポーツの「エース」はトランプの「A(エース)」じゃない?

 サッカーのワールドカップ大会真っ最中。連日の試合結果が気になってしょうがない根っからのサッカーファンもいれば、日本代表チーム(おっさんジャパン)の活躍に影響を受けて応援をしている人もいるでしょう。個人技というよりはチームとしての団結力で格上チーム相手に好試合を見せてくれる日本代表ですが、一方で、絶対的な「エースストライカー」の存在で成り立っているチームもあります。ところで、この「エース」という言葉。主にスポーツではチームの主力選手を指す言葉として使われていますが、おそらく多くの人がトランプの最強カードがA(エース)だから、チームの最強選手をエースと呼んでいると思っているのではないでしょうか。でも、実は全く関係ないのです。
エース  1860年代にアメリカで大活躍した野球選手にアーリー・ブレイナードというピッチャーがいました。当時のメジャーリーグでは年間試合数が65試合しかありませんでしたが、彼はある年、何とその全試合に登板し、65試合中64試合を勝利したのでした。まさに半端ない活躍ぶりです。そんな彼のニックネームがAsa(エイサ)でした。やがて、Asa(エイサ)のように大活躍してほしいという思いから、チームの主力投手のことをAsa(エイサ)と呼び始めたそうです。そして、その言葉がなまっていき、今の「エース」という言葉になったということなのです。実在した野球のピッチャーのニックネームが「エース」の語源だったというわけですね。
 今ではスポーツに限らず、あらゆる集団の中で中心となって活躍する人のことを「エース」と呼ぶようになっています。何にでも使えるのですから、何でもいいのです。みなさんも「これだけは誰にも負けない」と思える何かで、クラスのエースと呼ばれるような、さらに学校のエース、静岡のエース、日本のエースと呼ばれるような存在を目指してほしいと思います。そして、そのための努力を惜しまないのが「エース」です。

下土狩校 若林一浩


2018年6月9日

5月定期テスト結果! 新年度最高のスタート!!


2018年5月19日

京都の町を歩いてみると・・・

 修学旅行シーズンですね。金閣寺・銀閣寺・清水寺・東大寺・・・。京都・奈良の貴重な世界遺産をまわる経験というのは、とても大事な機会だと思います。今回は、社会の勉強を兼ねながら、教科書に関連したスポットを紹介します。

京都 @祇園の看板
 祇園の通りを歩いていると、ある看板が目に入ってきます。外国人観光客向けに建てられた看板なのですが、
・舞妓さんに触れてはいけません。
・柵に寄りかかってはいけません。
・歩きたばこはいけません。
・ごみのポイ捨てはいけません。
など、まちを歩く際のマナー事項が絵で示されています。京都を訪れる外国人観光客は年々増えており、地理の教科書P209のグラフを見ますと、1990年から2010年では約2.5倍、増加しています。確かに、市内を歩いていると、韓国語、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、様々な言葉が聞こえてきます。修学旅行は、国際観光都市「京都」をまさに実感できる経験になるでしょう。

A阿弖流為(あてるい)の碑
 清水寺の舞台から音羽(おとわ)の滝をめぐり、ほぼ一周したかなあと思う頃、見つかると思います。ただし、よく注意していないと通り過ぎてしまうかもしれません。石碑に刻まれている字を見ますと、
北天の雄  阿弖流為 母禮(もれ) 之碑
となっていて、アテルイをたたえる碑だとのことです。アテルイは平安時代に朝廷に抵抗した蝦夷(えみし)のリーダーです。蝦夷を征伐するリーダーに任じられた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と戦いましたが、激戦の末、田村麻呂率いる朝廷軍に降伏し、捕虜(ほりょ)となり都(平安京)へ連れていかれました。 歴史の教科書P49には、大阪府枚方(ひらかた)市にあるアテルイの塚が載っています。清水寺には、坂上田村麻呂とゆかりの深いお寺ということで、アテルイをたたえる碑文をつくることになったそうです。清水寺を訪れた際には、碑文を探してみるのも面白いでしょう。

 京都には社会の教科書にまつわる穴場スポットがまだまだあります。自分の足を使って、見たり聞いたりした経験は何よりも貴重な体験となります。修学旅行は、学問を修める旅行ですから、よく見聞し、知識を深めてくださいね。

下土狩校 小林一弥


2018年4月6日

明治学制・旧開智学校

 中学校の歴史教科書P162に、長野県松本市旧開智学校(きゅうかいちがっこう)の建物が写真で紹介されています。この和風と洋風とが合わさった立派な外観、当時の地域の人々の教育にかける熱い思いをくみ取ることができます。折しも、時は明治五年、新政府が学制を交布し、小学校から大学校までの学校制度を定めました。満6歳になった男女は小学校に通うことが必要になりましたが、小学校の建設費が地元負担であったことから、学制に関し、不満に思う人々が多かったとのことです。しかし、旧開智学校が建設された長野県松本の地域は、状況が異なりました。旧開智学校の建設では、校舎の建設費のおよそ7割は松本の地域の人々による負担でした。このことからも、地域の人々が学校建設に大きな期待を寄せていたことがわかります。もともと長野では、江戸時代から寺子屋教育が盛んであり、その土壌が校舎建設を後押ししたといっても過言ではありません。文化・文政の時期、長野を代表する俳人、小林一茶(こばやしいっさ)が活躍したそのころ、長野の地域全体の70〜80%の寺子屋が教育を始め、庶民の学習熱は高まりました。読み・書き・そろばん、一般教養を修めることが、当たり前の状況でありました。そこに来て、開国、明治新政府の学制です。松本での旧開智学校の開校は、必然的(ひつぜんてき)なものだったといえるでしょう。
 授業は、掛図(かけず)による指導が中心でした。掛図とは、教師が子どもたちに見せながら教えるための図です。歴史教科書P162 左上にも、掛図による算数の指導が行われています。当時は教科書がまだなく、この掛図を用いて効率的に指導したとのことです。他教科にも、この図は応用され、国語(いろはにほへと)、理科(植物図鑑のようなもの)、美術(色相環・しきそうかん)などがあったそうです。
 授業以外に注目すべきなのが、子どもたちのしつけに関する指導です。

 当時の尋常科(じんじょうか)の1・2年生に向けての指導だそうです。いずれも徹底されており、厳しい印象を受けました。この厳しさの中で、地域を、次代(じだい)を担う世代が育っていったのですね。このような指導が、東京ではなく、長野の松本という地方都市で実現されたこと、その前段階として、江戸時代の民間教育が育っていたことは、驚くべき点です。「教育の原点はここにあり。」地域の人々の熱き想いを垣間見た気がしました。
学校  歴史を勉強することは、当時の人々の生き方に目を向けること。教科書では、ほんの数行ですが、その数行に驚くべきことが濃縮(のうしゅく)されているのです。授業では、その濃縮された内容を伝えていきたいと思います。


下土狩校 小林一弥


2018年3月22日

進級おめでとう!!

今年の春も多くの生徒たちが高校入試に立ち向かい、下土狩校を巣立っていきました。度重なる小テストや大量の宿題が出された夏期特訓、弁当持ちで1日8時間授業をした冬期特訓・入試直前特訓など、最後まで頑張り通した生徒たちに心から拍手を送ります。今後、中等部を終えた一人ひとりが、仲間とともに頑張った特訓授業や高校受験という貴重な体験を胸に刻み、希望に満ちた高校生活を送っていくことを心から願っています。 
新高1の皆さん、高校入試はゴールではなく、新しいスタートラインです。これからの人生の中で、いろいろな試練があるでしょう。しかし、三進で培った「ド根性の精神」でそれを乗り越え、輝かしい未来を自分の手で掴み取ってほしいと思います。
今の君たちなら、何があっても負ける気がしません。我々はいつでも応援しています。

沼津東高校合格 長泉中 Aくん

私は中一の頃、成績は学年の真ん中くらいでしたが、三進に来てから、いっきに成績が上がりました。おそらく私がここまで成績を上げることができたのは、塾の先生方の大きな支えがあったことと、勉強を上手に行えたからだと思います。ただ塾に行くだけ、ただ授業を受けるだけでは良くないと思い、いろいろな試行錯誤をして自分に最も合っている勉強法を身につけました。中三になって、夏の100時間授業など大変なことはたくさんあったけど、自分のやり方を身につけておけば乗りこえていけるんだと、感じました。どんな事も知恵をしぼって工夫をすれば、きっと成功するんだと、受験勉強を通して学びました。

韮山高校合格 長泉北中 Bくん

受験勉強をする中で、僕はライバルである仲間の存在が大切だと感じました。ライバルではあるけれども、互いに頑張りあえる、応援しあえる、笑いあえる仲間。そんな仲間が三進にはたくさん来ています。僕はそんな仲間達がいなければ、今の自分はいないと断言できます。仲間と共に頑張ってきた努力のおかげで、今この場に自分が立てていると思います。僕は三進の先生が大好きです。ユーモアかつ愛情あふれる先生の一言一言が胸につきささり、受験勉強の支えになりました。いやー、今思うと本当に三進に入ってよかった。よいところしかない。大切な仲間、先生に出逢えて本当によかった。最後に伝えたい、一言。
「ありがとう。」


2018年3月14日

理想を胸に

 中学1・2年生の学年末テストの結果も出そろいました。今回のテストでは、ある中学校の2年生の国語で、星野道夫さんの「アラスカとの出会い」が出題されました。星野さんは大学時代、一枚の写真をきっかけに単身アラスカへ渡り、写真家としての自分の人生を自分の力で切り開いた方です。これから3年生になり、人生の試練の一つである受験というものを意識しはじめるこの時期に、ぜひ考えてもらいたいテーマのいっぱい詰まった作品です。

 ところで、星野さんほどの劇的な出会いではありませんでしたが、私にも教師を夢見て勉強していた大学生のころ、自分の人生に少なからず影響を与えた出会いがありました。

 ある日、講義の中で、大村はまさんという女性教師の教師授業風景を撮影した映像を見せられました。大村先生は、生涯を現場の一教師として子供たちに向き合い続けた国語教師です。彼女が教師として生きたのは、英語や数学や国語といった、いわゆる5教科を、女性教師が教えること自体、珍しい時代でした。

 映像を見ただけですので、「出会った」という表現は正しくないかもしれません。しかし、大学を卒業して何年も経った今でも理想の教師像として胸に焼き付いています。子供たちが生き生きとして考える。自分の意見を言う。さまざまなことに興味を持ち、学ぶ。夢を語る。そんな教室の風景が、その大村先生の語りかけや質問により生まれている。本当に感動したのを覚えています。三進の教壇で生徒たちに向き合っている今も、やはり理想として描くのはあの授業風景です。

 大村先生の言葉の中で、私が教壇に立つとき、大事にしたいと思っているものの一つに、次のようなものがあります。「子どもというのは、身のほども忘れて、伸びようとしたり、伸びたいと思っている人間です。その子どもたちと同じ気持ちになることが、まず大事でしょう。」
 生徒たちが、それぞれの夢や理想を新たにする春。
私も改めて若き日の理想を胸に抱き、生徒たちと共にスタートを切りたいと思います。

下土狩校 川人奈津美


2018年3月13日

中1・2学年末テスト結果